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正信偈という歩み

本願念仏の教えをいただかれた親鸞聖人の人生は、浄土を願い、問い尋ねられた七高僧の歴史に連なる歩みといえます。そして、「正信偈」にあかされた浄土の世界、浄土の歴史を現代に至るまで聴聞し、お勤めしてきた真宗門徒の生活も、親鸞聖人の歩みに重なることではないでしょうか。その歩みを確かめ、歴史に連なるきっかけになることを願い、「同朋会」等にも活用できる新連載をスタートします。

目次

[弥陀章]因を明らかにする 狐野 秀存 氏/大谷専修学院学院長
[釈迦章]曇天の救い 伊東 恵深 氏/同朋大学専任講師、三重県西弘寺住職
[結誡]難信の法 海 法龍 氏/真宗大谷派首都圏教化推進本部員、神奈川県長願寺住職
「お勤めされる『正信偈』」 蒲池 勢至 氏/同朋大学仏教文化研究所客員所員
「親鸞聖人と比叡山の修行」 淺田 恵真 氏/浄土真宗本願寺派勧学、龍谷大学名誉教授
[龍樹章]『中論』の龍樹と『婆沙論』の龍樹 山本 伸裕 氏/東京医療保健大学講師
[天親章]天親菩薩の歩み ─広大にして無碍なる自己の実現 加来 雄之 氏/大谷大学教授
「曇鸞章」曇鸞大師―回心と回向― 三明 智彰 氏/九州大谷短期大学副学長
「善導章」『観無量寿経』のこころ 森田 真円 氏/浄土真宗本願寺派司教、京都女子大学教授
「道綽章」本願の仏教の基礎構築―「正信偈」道綽讃に聞く― マイケル・コンウェイ 氏/大谷大学講師
「源信章」報化二土正弁立 ―浄土を念ずる道― 鶴見 晃 氏/真宗大谷派教学研究所所員
「源空章・結勧」浄土真宗の独立と伝灯 安冨 信哉 氏/真宗大谷派教学研究所所長

因を明らかにする 狐野秀存 氏

[弥陀章](総讃)帰命無量寿如来~必至滅度願成就


 「きみょーむりょーじゅにょらーい」。まだ口のよく回らない幼い子たちの声もまじって、お勤めの声が聞こえる。真宗門徒の家の原風景だった。その『正信偈』のお勤めを中心とした“家族のしるし”も、時代の流れの中で、生活の変化にともなって間遠になった。みなで声をそろえて『正信偈』のお勤めをする門徒の原点を回復することによって、新しい人と人とのつながりを作り出していきたいと思う。
 『正信偈』は親鸞聖人からの後世への最大の贈りものである。六十行、一百二十句の歌に正しい念仏の信心の道が示されている。幼いころに口まねで覚え、身についた『正信偈』のお勤めそれ自体が、自然と私どもを「えらばず、きらわず、見すてず」の如来の摂取不捨の心へと導いてくれる。『正信偈』はまずみなで声を合わせてお勤めをすることがはじめであり、またその同朋唱和の声に尽きるのである。
 『正信偈』は親鸞聖人が浄土の真実をあきらかにした『教行信証』「行巻」の中に出ており、浄土真宗の大綱、要義を示したものである。冒頭の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の南無阿弥陀仏のこころが『正信偈』全体を貫いている。その南無阿弥陀仏の念仏の法が阿弥陀如来の本願であり、釈尊の教えの本意であることを示すのが前半の依経分である。後半の依釈分は南無阿弥陀仏が称名の声となって、人から人へと胸のうちに伝えられてきた事実を、インド、中国、日本の三国にわたる七高僧の教えとしてあきらかにしている。そして最後に「唯可信斯高僧説」と、私どもに念仏の信心をすすめる聖人の願いの言葉で結ばれている。
 依経分の[弥陀章]は、真実の教えである『大無量寿経』にしたがって述べられている。まず、阿弥陀如来の因位の法蔵菩薩の物語と果成の十二の光のはたらきを示す「如来浄土の因果」があきらかにされ、次に、「衆生往生の因果」として真実の行、真実の信、真実の証という本当の人生の道しるべがあきらかにされている。煩悩具足の凡夫のために本願をおこされた如来の大悲心を学びたい。
写真:七高僧(名古屋別院本堂)

この しゅうぞん

1948年、石川県生まれ。1970年、大谷専修学院卒業。現在、大谷専修学院学院長。【著書】シリーズ親鸞 第三巻『釈尊から親鸞へ―七祖の伝統』(筑摩書房)、『往生浄土の道』(東本願寺)ほか
狐野氏には4月12日の「信道講座」にご出講いただきます。(終了しました)

曇天の救い 伊東恵深 氏

[釈迦章]如来所以興出世~是人名分陀利華


 [釈迦章]では、釈尊(をはじめとする諸仏)がこの世に出現されたのは、阿弥陀仏の本願の教え(『大無量寿経』)を説くためであり、苦悩の現実を生きる私たちに対して、釈尊の教説を深く信じなさい、と呼びかけられている。
 では、釈尊によって説かれた阿弥陀の本願の教えとは一体何であろうか。それは、「念仏を称える者を必ず救い取る」という阿弥陀の誓いを信ずるところに、煩悩を断ずることなく涅槃を得る道が恵まれるという教えである。「涅槃を得る」というと何か難しいことのように思うが、例えば人生に行き詰まったときに、あるいは日常生活の中で悩み苦しんでいるときに、常に立ち返っていくことのできる教え(帰依処)が明確になることではないだろうか。苦悩と矛盾ばかりの人生の只中に、われら凡夫の帰依処を切り開いてくださる、これが浄土真宗の救いである。
 ひとたび人生の帰依処が明確となり、阿弥陀の光明(智慧のはたらき)に出遇ったならば、私たちの無明の闇は晴れ、明るみが恵まれる。けれども、この身は凡愚である以上、貪愛(むさぼる心)や瞋憎(怒り憎む心)といった煩悩を消し去ることはできない。煩悩は常に我々の心に影を落とし続ける。それはまるで太陽の光を覆う雲霧のようである。
 しかしながら、たとえ雲霧(煩悩)に心が覆われたとしても、完全な闇夜(無明)ではない。雲霧の向こう側にある太陽の明るみを感じて、凡夫の身を存分に尽くしていくことのできる道が、すでに開かれている。それが本願他力の仏道である。だれしも曇天や雨天は憂鬱である。しかし例えば、農作物が雨によって大きく育ち、寒さによって甘くなるように、人生においても、煩悩を縁とするところに、阿弥陀の本願に乗託していく信仰生活がはじまる。ここに、煩悩の泥田の中にありながらも、阿弥陀の清浄願心を生きる一人(泥中に咲く白蓮華)が誕生するのである。
写真:釈迦三尊像(名古屋別院山門)

いとう えしん

1977年、京都府生まれ。大谷大学真宗学科卒業。大谷大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。専門は真宗学。真宗大谷派親鸞仏教センター研究員、大谷大学非常勤講師などを経て、現在、同朋大学文学部仏教学科専任講師。三重県・西弘寺住職。編著に、伊東慧明氏との共編『曽我量深講義録』上下巻(春秋社)がある。その他論文多数。
伊藤氏には5月10日の「信道講座」にご出講いただきます。(終了しました)

難信の法 海 法龍 氏

[結誡]弥陀仏本願念仏~難中之難無過斯


  「正信偈」の前半「依経分」の「弥陀章」には阿弥陀如来の本願の教えが説かれ、続いて「釈迦章」において、本願を深く信じることと、その信心の利益が示されている。そして、最後にこの「結誡」の文がおかれている。結びでもあるが、次の七高僧の思想信仰を讃えた「依釈分」を開く文にもなっている。
 「結誡」とは、「誡め結ぶ」ということである。なぜ「依経分」が誡めで結ばれなければならないのだろうか。「弥陀仏の本願念仏は、邪見憍慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし」(『真宗聖典』二〇五頁)とある。「弥陀の本願を信じよ」と言いながら、信じることは、とても難しいことなのだと。なぜならば信楽受持せしめないのは、私たちが「邪見憍慢の悪衆生」だからと言い切っている。
 つまり信心ということには、人間の本質に関わる問題があるのだと。信じればそれで救われるということではない。信じようとしている私の心は何処に立っているのか。その心を「邪見憍慢の悪衆生」と親鸞聖人はおさえ、そのことが本当に課題化されてこなければならないと、誡めながら「依経分」は結ばれている。そしてその信じるということに悪戦苦闘し、阿弥陀如来の本願の教えを時代・社会の中で身をもって実践していったのが、次の「依釈分」で示される七高僧だったのである。
 親鸞聖人自身も信心に苦悩した一人であった。信じよと呼びかけられても、純粋に信じることのできない自分自身。しかしその不信の心があるからこそ、本願はおこされてきたのだということを、『大無量寿経』の流通分に教えられ、その文を「結誡」の文意として敢えて「依経分」の最後においたのである。

かい ほうりゅう

1957年、熊本県生まれ。大谷大学、大谷専修学院卒業。現在、真宗大谷派首都圏教化推進本部員。神奈川県・長願寺住職。大谷派首都圏広報誌『サンガ』編集委員。東本願寺同朋会館教導。【著書】写真詩集『東京断章』(ビーンズ・エンターテイメント)、『大きい字の法話集』(東本願寺出版部)など。
海氏には6月14日の「信道講座」にご出講いただきます。

お勤めされる「正信偈」 蒲池勢至 氏


 私たちが普段読んでいる「正信偈」は、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と漢文で書かれています。寺院や真宗門徒の調査をしていますと、「きミやうむりやうじゆによらい なむふかしぎくわう」と平仮名で書かれた「ひらがな」本の「正信偈」に出あうことがあります。二十代の後半、岐阜県旧根尾村にある山奥の道場で初めて目にしたときは感動すら覚えました。「そうか、門徒は漢字では読めないから「ひらがな」に直して読誦してきたのか」と。そこからまた、次のように思いました。江戸時代や戦国時代の門徒は、平仮名が読めたのか。
 「正信偈」を真宗法要の儀式に取り入れたのは、蓮如上人でした。開版といって木版刷りの本を作られましたが、この版本のものがどれだけ門徒間に流布したかは疑問です。近世以前の「正信偈」書写本も残されていません。門徒が文字を読めなかったとしても、この頃は、「正信偈」やご和讃が「暗読」(暗記)されていたとすれば解決できます。『本願寺作法之次第』に「実如の御時、あまりに「正信偈」ながく御入候時、助音衆ことゞゝく次の句を忘れ候て」とあって、暗読されていたようです。近世の『真宗故実伝来鈔』には「元ハ御法事ノ砌ハ和讃卓ナシ、タヽ暗読ナリシカ暗読ニテハ失念モ有之候故」とあり、『御寺法随聞記』には「「正信偈」「和讃」は暗誦ゆへ、前後にいたゞき給はず」とあります。ご和讃も暗記して読誦するものでした。
 門徒は、毎日お内仏で朝夕の勤行、毎月の同行が寄り合うお講、毎年の報恩講で「正信偈」を高らかに読んできました。「夕方、お内仏の前でお勤めをしないとご飯が食べさせてもらえなかった」という話は、門徒さんからよくお聞きしました。どのようにして「正信偈」が読めるようになったのか。「子どもの頃寝ていると、隣で毎日お爺さんとお婆さんがお勤めしていたから、嫌だなぁ、と思いながら自然と覚えてしまった」と言います。その後、村の青年会などで競争するようにして、本格的に習ったものでした。
 「正信偈」は読誦すると同時に「聞く」ものでした。そして、真宗の歴史と信心の姿が込められて伝承されてきました。

がまいけ せいし

1951年、愛知県生まれ。同志社大学文学部文化学科・同朋大学文学部仏教学科卒業。現在、真宗大谷派長善寺(名古屋市西区)住職、同朋大学仏教文化研究所客員所員。【著書】『真宗門徒はどこへ行くのか 崩壊する伝承と葬儀』、『真宗民俗史論』、『真宗民俗の再発見』(ともに法蔵館)、『真宗と民俗信仰』(吉川弘文館)ほか。
蒲池氏には7月12日の「信道講座」にご出講いただきます。

「親鸞聖人と比叡山の修行」 淺田恵真 氏


 『正信偈』は親鸞聖人のご著書『教行信証』の「行巻」の一節です。この『教行信証』には多くの天台用語が使用されています。それは比叡山での学問研鑽にて培われた天台教学に起因するものと思われます。
 親鸞聖人は九歳から二十九歳まで比叡山でご修行されたということは皆さんご存じですが、それでは一体どのようなご修行をなされたのでしょうか。そして、またなぜ比叡山を下りられたのでしょうか。このことに関しては聖人ご自身、全く触れておられません。ですから憶測に頼る以外にないのですが、今日の比叡山の修行から類推することが出来ないだろうか…。
 私は龍谷大学の講師時代にあわせて、比叡山の学校であります「叡山学院」に十年間講師として勤めさせていただきました。そこで知り合った学者さんや行者さんたちのご縁をいただいて修行の実際を様々に拝見させていただきました。
 そこで少し無謀かもしれませんが、今日の比叡山に残る修行を通して親鸞聖人当時を類推することが出来ないだろうかと考えたのです。『恵信尼消息』に、「この文ぞ、殿の比叡の山に堂僧つとめておわしましけるが」(『真宗聖典』六一八頁)とありますので、下山直前には「堂僧」を勤めておられたことが判ります。「堂僧」の解釈には様々な意見がありましたが、今日では「常行堂に出仕する僧」と見る説が有力です。今日もなお比叡山ではこの「常行三昧」の修行が復興されて行われています。
 九十日間にわたる常行三昧修行の実際や、その修行の過酷さ、そして、現在の行者の三昧修行中の宗教体験などから親鸞聖人の堂僧としての行者の心理を考え、総合的に、聖人が突如として比叡山を下りられた意図を追求できるのではないかと思います。
 『歎異抄』には「いずれの行もおよびがたき身なれば…」(『真宗聖典』六二七頁)との有名な御文があります。聖人にとっての叡山時代の二十年間は、後に本願他力の教えに出遇われる大切な基礎になる時期であったと私は考えます。

あさだ えしん

1945年、大阪府生まれ。龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻依頼退学の後、叡山学院講師、龍谷大学短期大学部教授、京都橘大学講師、精華大学講師、大倉精神文化研究所研究員、相愛大学講師、龍谷大学文学部仏教学科主任教授等を歴任して、現在、龍谷大学名誉教授。博士(文学)。浄土真宗本願寺派「勧学」。本願寺派因念寺(大阪府)住職。 編著書: 『往生要集講述』、『末法灯明記講読』、『戒律を知るための小辞典(編著)』(ともに永田文昌堂)、『仏教から見た修験の世界』(国書刊行会)、『宿縁を慶ぶ』(百華苑)、『他力への道』(百華苑)、『私の歩んだ仏の道』(本願寺出版部)、『生かされて生きる』(探求社)ほか。
淺田氏には8月9日の「信道講座」にご出講いただきます。

「『中論』の龍樹と『婆沙論』の龍樹」 山本伸裕 氏

[龍樹章] 釈迦如来楞伽山~応報大悲弘誓恩


 『正信偈』は親鸞聖人のご著書『教行信証』の「行巻」の一節です。この『教行信証』には多くの天台用語が使用されています。それは比叡山での学問研鑽にて培われた天台教学に起因するものと思われます。
 『十住毘婆沙論』で「易行道」を示した龍樹は、浄土教の祖師である以前に、大乗の祖師として崇められてきた。龍樹の代表作として真っ先に名前が挙がるのは、「有」「無」を離れた「色即是空」が説かれる『般若経』の「空」思想を哲学的に体系づけたとされる『中論』であろう。そのため、ほとんどの伝統教団では『般若(心)経』が重視され、読誦されてきた。ところが、「方便」を重視する浄土教系の宗派では、『般若経』は積極的には読まれてこなかった。いくら「空」などという抽象的な原理が説かれたところで、凡夫の救いにはならないというのがその理由だが、親鸞が龍樹大士を崇敬していたことは紛れもない事実で、そのことは『正信偈』の中で「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」と押さえられる「易行道」の思想と、「悉能摧破有無見 宣説大乗無上法」と押さえられる「空」の思想とが、並立的に示されていることにも表れていよう。
  私見によれば、浄土教系の宗派で「空」の思想が重視されてこなかった最大の理由は、『中論』の思想が正しく理解されてこなかったことにある。「空」「仮」「中」の「三諦」ということが言われるが、一般に「空」と「仮」とが止揚されたところに成り立つ真理が「中」であるかのごとく理解されてきた。が、実際、梵文『中論』で述べられているのは、「空」は「仮」であり「中」にほかならないということであって、「空」と「仮」の両極端を排したところに「中(道)」が成り立つとは言われていないのである。
「仮」と漢訳される梵語prapañcaは、「(かたちをもって)知らしめる」という意味で、そこに否定的な意味は一切ない。にもかかわらず、「仮」と訳されたことで、中国や日本の仏教者たちは、龍樹の思想を根本的に誤解してきたのである。だが、親鸞に限って言えば、漢訳経典に基づく「空」の伝統的解釈に囚われることなく、龍樹の思想を穏当に解釈し、『中論』と『婆沙論』との間に一貫した思想を見ていたものと考えられる。

やまもと のぶひろ

1945年、東洋大学文学研究科仏教学専攻博士後期課程単位取得退学、東京大学文学部思想文化学科倫理学専修卒業。博士(文学)。真宗大谷派・親鸞仏教センター研究員 、東京大学東洋文化研究所特任研究員を経て、現在、東京医療保健大学講師。 【著書】 『「精神主義」は誰の思想か』(法蔵館)、『他力の思想』(青灯社)、『清沢満之と日本近現代思想』(明石書店)、『手に取るように哲学がわかる本』(かんき出版/共著)、『清沢満之集』(岩波書店/校注)
山本氏には9月13日の「信道講座」にご出講いただきます。

「天親菩薩の歩み ─広大にして無碍なる自己の実現」 加来雄之 氏

[天親章]天親菩薩造論説~入生死園示応化


 私たちは、ブッダの教えに出あうことができています。しかし本当にブッダの教えのままに生きることができているのでしょうか。私たち人類にブッダの教えが与えられた意義とはどのようなことであったのでしょうか。仏の教えに生きるとはどのような事実なのでしょうか。お釈迦さまのとき、親鸞聖人のとき、そして私たちのとき、時代はうつり、社会は変わり、人びとの問題も変わってきました。しかし、どのような時代であっても、どのような社会であっても、どのような人にとっても変わることのない課題があります。それはどのように濁った世にあっても、それを逃げず、時代社会の人びととともに生きることができる自己を獲得することです。
 天親菩薩は、五世紀ごろインドの北部で活躍され、小乗・大乗の教えについての多くの著述をあらわし、特に唯識の教えを大成されました。しかし親鸞聖人にとってのもっとも重要なお仕事は、『無量寿経』の伝統を受けとめる唯一の論を造ってくださったことでした。その論が『無量寿経優婆提舎願生偈』です。『願生偈』とも『浄土論』とも『往生論』とも『無量寿経論』とも呼ばれます。この論がなければ私たちは浄土の教えの趣旨を正しく受けとめることはできなかったでしょう。いや、私たちが仏教に出遇っていることの意味を正しく受けとめることができなかったでしょう。
 天親菩薩は、『無量寿経』の伝統に立つことによって「我、仏教と相応せり」という確信を持たれました。その確信を表明されたのが「世尊、我一心」(『真宗聖典』一三五頁)という言葉です。天親菩薩は、その確信に立って『無量寿経』についての論を造り、私たちに仏弟子であるとはどのような生き方であるかをあきらかに説いてくださったのです。
 天親菩薩は、まず仏弟子とは、どのような出来事にもさまたげられない智慧のはたらきに帰命するものに与えられる名であり、それを「無碍光如来に帰命したてまつる」とあらわしてくださいました。さらに仏弟子とは「広大にして無碍なる自己」を「一心」として実現し、そしてその「一心」に展開する五つの意味(五念門・五功徳門)を生きるものであると説き示してくださったのです。この天親菩薩の求道の歩みは本当にありがたいお仕事でした。

かく たけし

1955年、京都府に生まれる。1984年、大谷大学大学院博士課程満期退学。現在、大谷大学教授。【著書】 『仏弟子論としての『歎異抄』』、『『大無量寿経』の讃歌と問答─曇鸞『讃阿弥陀仏偈并論』を読む』ほか。
加来氏には10月11日の「信道講座」にご出講いただきます。

「曇鸞大師─回心と回向─」 三明智彰 氏

[曇鸞章]本師曇鸞梁天子~諸有衆生皆普化


 中国の北魏の曇鸞大師(四七六~五四二)は、「親鸞」という聖人のお名のりの由来になった人です。それは、深い尊敬の念とその人を模範として生きる意志の表れです。
 親鸞聖人は、「正信偈」に「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」と示されました。「本師」とは、まことの師ということです。そして、梁の国王・武帝が、曇鸞大師の処に常に向かって「曇鸞菩薩」と礼拝した、といわれます。これは大師の偉大さとともに、国の指導原理として本師が居なければならないとの親鸞聖人のお考えが窺われます。
 曇鸞の大きな転機(回心)は、インドから来られた菩提流支との出遇いです。曇鸞は仏教を深く学び究めるためには健康で長生きでなければならないと思い、そのためにはるばる長江(揚子江)を渡り、梁の陶弘景という人に師事して古来の健康法である仙術を学び、仙術の経典十巻を与えられました。喜び勇んで北魏に帰った時に、ちょうど菩提流支に会ったのです。曇鸞は「仏教には、仙経のようなすぐれた長生不死の神方がありますか」と尋ねました。菩提流支は、地に唾を吐いて言いました。「仙経によって長生不死を得たとしても、それはただ、我執の迷いの命をいたずらに延ばすだけではないか。真の長生不死とは、無量寿の目覚めである。この法をこそ学ぶべきである」と、浄土の教えを示されました。ここに曇鸞は過ちに気づき、その場で仙経を焼き捨てて「楽邦」(極楽浄土)に帰依したのです。
 このような鮮やかな回心を経て、大師は天親菩薩の『浄土論』を註解し『浄土論註』(『論註』)を著されました。その要点は、極楽浄土の因も果も、弥陀の誓願に基づくこと。浄土往生の歩みを遂げるのも、浄土から迷いの世界に還って衆生済度するのも、弥陀の誓願のはたらきである他力に由る。さらに、唯だ信心のみが、凡夫を、仏になるべき身(正定聚)にさせ、迷いがそのまま涅槃であると証知させ、無量光明の浄土に必ず至らせ、衆生を、みなあまねく教化すると説かれました。

みはる としあき

1954年、弘前市生まれ。大谷大学大学院博士課程真宗学専攻単位取得。大谷大学助教授などを経て、現在九州大谷短期大学教授・副学長。明教寺(青森県)住職。量深学場主宰。  【著書】『歎異抄講義』上・下、『願心の目覚め』、『阿弥陀経講話』、『親鸞の阿闍世観─苦悩と救い─』(いずれも法蔵館)ほか。
三明氏には11月8日の「信道講座」にご出講いただきます。

『観無量寿経』のこころ 森田真円 氏

[善導章]善導独明仏正意~即証法性之常楽

※『正信偈』の次第では「導綽─善導」の順ですが、都合により「善導章」から掲載します。

 隋の末、大業九(六一三)年に、中国北東部に誕生された善導大師は、幼くして出家し、比丘僧となって各地を遊行して、その後、玄中寺における道綽禅師との出会いによって、浄土の教えに帰依されたのであった。道綽禅師から『観無量寿経』(『観経』)の講義を承けた善導大師は、『観経』の奥深い意義に直参し、『観経四帖疏』という註釈書を制作されたのである。
 『観無量寿経』という経典は、インドで起こったいわゆる「王舎城の悲劇」を機縁として説かれた経典であるが、中国の南北朝時代から隋・唐にかけて、広く流布した経典である。善導大師は、この経典の内容を絵で表した『観経曼荼羅』(浄土変相図)を三百篇も製作されたといわれ、それは當麻曼荼羅として日本にも伝わっている。また、この経典は、善導大師の時代までに多くの註釈がなされてきたが、その代表的なものは、浄影寺慧遠・嘉祥大師吉蔵・天台大師智顗によるものであり、これらの註釈書は、聖道門の立場に立った『観経』解釈であった。
 善導大師は、自らの『観経四帖疏』の末尾に「某、いまこの『観経』の要義を出して、古今を楷定せんと欲す」と述べるように、従来(古今)の『観経』理解の誤りをただして正しい見方を定め(楷定)られるのである。この慧遠等の諸師の理解と善導大師との相違については、観経科段・定散致請・観仏念仏・理観事観・報土応土・九品凡聖・韋提凡聖等々を挙げることができる。
 これらを全般的に窺えば、①観経に説かれる所説の中心は何であるか ②観経はだれを対象として説かれているか ③観経に説かれる浄土はどのようなものか等々について、聖道門の諸師とは全く異なる善導大師の『観経』理解が見られるのである。それは、阿弥陀仏の本願力のはたらきによって、聖者ではない凡夫が、称名念仏によって、最勝の浄土に往生できることを示すものである。そしてそれこそが、釈尊がこの『観経』という経典で説こうとされた本意であったことを明らかにされるのである。
 親鸞聖人は、このような善導大師の功績を「善導独明仏正意」と讃えられたのである。

もりた しんねん

1954年、奈良県生まれ。1977年、龍谷大学文学部哲学科哲学専攻卒業。1985年、同大学院文学研究科博士後期課程真宗学専攻単位取得満期退学。浄土真宗本願寺派中央仏教学院講師、本願寺教学伝道研究所所長、京都女子大学短期大学部教授を経て、現在、京都女子大学文学部教授。本願寺派「司教」。龍谷大学非常勤講師。本願寺派教善寺(奈良県)住職など。【著書】『ひらがな真宗』『ひらがな正信偈』『埋み火─こころの法話集─』『笑う門には念仏あり』『はじめての親鸞さま』(ともに本願寺出版社)、『観念法門窺義』『観経序分義窺義─「王舎城の悲劇」に聞く─』(永田文昌堂)、『願いに生かされて』(響流書房)。共著に、『新編 安心論題綱要』『浄土三部経と七祖の教え』『今、浄土を考える』『やさしく語る親鸞聖人伝』『浄土真宗─はじめの一歩─』。
森田氏には12月6日の「信道講座」にご出講いただきます。

本願の仏教の基礎構築―「正信偈」道綽讃に聞く― マイケル・コンウェイ 氏

[道綽章] 道綽決聖道難証~至安養界証妙果


 道綽禅師が生きていた時代(中国の南北朝末期から唐代の初頭にかけて)には、阿弥陀仏を中心とした浄土教は、仏教者の間で多くの注目を集めていたが、『大無量寿経』に説かれる法蔵菩薩の本願はさほど顧みられなかった。その中で、道綽禅師は浄土教の根幹がこの本願の教説にあると力説したのみならず、当時の仏教界に向かって本願を中心とした浄土教が仏教の本来のあり方であると宣言した。主著『安楽集』において、道綽は教相判釈と呼ばれる解釈を施し、釈尊が説いた仏教を聖道門と浄土門に分け、浄土門こそが真の仏教であると論じた。
 浄土真宗の伝統を継ぐ我々にとっては、これが自明な事柄に感じられるかもしれないが、仏の名号を称えることが仏の悟りに通ずるという可能性が全くないとさえ言われていた当時では、道綽の立場は画期的で、容易に受け入れられなかった。しかし、道綽が築いた土台の上に善導大師、そして法然上人はその浄土思想を展開し、親鸞聖人も多分にその基本的立場を継承したので、念仏すれば仏の悟りに触れることができるという発想は、我々にとって違和感なく受け入れられるのである。
 親鸞聖人は『正信偈』の道綽讃において、道綽のこのような貢献を種々に讃えている。その文を読んでいくと、前半では、聖道・浄土の「教」の選びを、そして自力諸行・称名の「行」の選びを讃えている。後半は、「三不三信」という道綽の「信」の捉え方から始まり、安養浄土で仏果に至ると述べる形で、「証」で締め括られる。このように、親鸞は道綽の教学的貢献を、仏道の全体を体系的に把握する「教行信証」の観点から捉え、浄土教におけるそれぞれの基礎を道綽教学の上に見据えている。
 その中で「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」(一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり)という一行が特に注目される。なぜならば、仏になる唯一の条件が、我々の善悪の行為ではなく、如来の本願に出遇うことであるとその言葉が表しているからである。道綽が示した本願他力の仏道は、親鸞が浄土真宗として明かした仏道の基礎となって、真宗門徒として我々が歩む信仰生活の基調をなしているのである。

Michael J. Conway

米国イリノイ州生まれ。ノースウエスタン大学卒業後、二〇〇三年、来日し大谷大学入学(修士課程真宗学専攻)。二〇一一年、大谷大学大学院(真宗学専攻)にて博士号取得。二〇一一年、東方仏教徒協会編集者。二〇一五年より大谷大学文学部真宗学科専任講師。 【著書】「道綽教学における本願の思想」(『大谷大学大学院研究紀要』第25号)、‘‘Throwing Open the Gates of the Pure Land: Daochuo’s Recognition of the Latter Days of the Dharma as the Foundation for ‘neither Monastic nor Secular.’” The Pure Land 24、「道綽の『安楽集』における末法思想の役割」(『華厳思想と浄土教―中村薫博士退任記念論集―』(文理閣)所収)
マイケル・コンウェイ氏には1月17日の「信道講座」にご出講いただきます。

報化二土正弁立 ―浄土を念ずる道― 鶴見 晃 氏

[源信章]源信広開一代教 ~大悲無倦常照我


  源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む (『真宗聖典』二〇七頁)

 源信僧都の教えについて、親鸞聖人は、「源信僧都はお釈迦様の教えを広く学び、みずからひたすらに阿弥陀仏の浄土に帰依なさるとともに、すべての人々にお勧めになった」と確かめられておられます。そして、さらにその教えの肝要を、

  専雑の執心、浅深を判じて、報化二土、正しく弁立せり(同)

と「念仏の心を判じ、浄土を正しく明らかにしてくださった」と確かめておられます。
 浄土の教えにであうことを得て、往生浄土を願おうとしても、浄土をおもうことは難しい。経典にはさまざまに浄土のお姿が説かれており、なるほどこういう世界かとおもうとしても、果たして私のおもう世界が真実の世界なのかどうか。私たちには何一つ確かではありません。むしろいつでも自分のおもいのなかに閉じ込められていくかのようです。
 親鸞聖人が源信僧都の教えを讃えられるのは、そのような私たちが浄土を念ずる道を指し示してくださっているからでしょう。
 私たちに念ぜられる阿弥陀仏の世界。それが真実の世界(報土)であるか、方便の世界(化土)であるかは、念ずる心によって明らかになる。仏を念じようとしても、いつでも自己関心に落ち込んで、ちりぢりになっていく心でしかない。そこに気づかされてくるのは、真実の仏の世界を見ることができない「極重の悪人」の私である。
 しかし、その気づきを通して、その私を悲しむ仏の心が感ぜられる。

  極重の悪人は、ただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照したまう、といえり(同)

私を悲しむ仏を念ずるところに、私たちがそのまま見ることはできないはずの仏の世界が、常に私を照らす世界として念ぜられるのである。源信僧都はそう教えておられるのであると、親鸞聖人は受けとめておられるのではないでしょうか。本年(二〇一六年)は源信僧都の一〇〇〇回忌を迎えます。あらためてその教えを確かめていきたいとおもいます。

つるみ・あきら

一九七一年、静岡県生まれ。大谷大学大学院博士後期課程満期退学。現在、真宗大谷派教学研究所所員。 【共著】『書いて学ぶ親鸞のことば 正信偈』『書いて学ぶ親鸞のことば 和讃』(編集協力、ともに東本願寺)【論文】「教如上人と東本願寺創立―その歴史的意味について―」「親鸞の名のり―「善信」房号説をめぐって―」「親鸞の名のり(続)―「善信」への改名と「名の字」―」(いずれも『教化研究』所収、東本願寺)
鶴見 晃氏には2月14日の「信道講座」にご出講いただきます。

浄土真宗の独立と伝灯 安冨 信哉 氏

[源空章][結勧]本師源空明仏教~唯可信斯高僧説


 この連載では、昨年(二〇一五)四月より、私たちが日常にお勤めしている『正信偈』について、各章ごとに諸先生に学んでまいりました。今回は、最終章の源空(法然)上人、そして結勧について学びます。

 その法然上人の偉業を讃え、親鸞聖人は、『正信偈』源空章の冒頭、
  本師・源空は、仏教に明らかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す(『真宗聖典』二〇七頁)
と讃詠されます。
 平安時代に入って、戦乱や飢饉が打ち続き、人々は呻吟しました。南都北嶺では、多くの僧侶が仏道を修行し、高度な思想を修学しました。ただ、一握りの貴族のほか、ほとんどの庶民は、仏教の外側に置かれました。つまり仏教は、万人の「宗」(拠り所)とはならなかったのです。
 その時代の苦悩に応えるようにして現われたのが法然上人でした。法然上人は、四十三歳の年、善導大師の本願念仏の教えに出遇います。ここに万人の「宗」となる教えがあった! そういう感動のもと、山を降り、念仏の灯火を掲げます。すなわち万人の真実の拠り所(真宗)を「浄土宗」の名で時代社会に公開します。
 遡れば、浄土真宗は、『大無量寿経』に説かれた本願に発祥し、いわば地下水のように、時代を超え、国を超えて伝承されてきました。その役割を果たした三国七高僧の伝灯の意義について、『正信偈』は、
  弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう(同)
と結び、
  道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし、と(『真宗聖典』二〇八頁)
と勧めています。ここに龍樹菩薩から法然上人へと続く「唯信」の伝統に立つべきことが呼びかけられています。

やすとみ・しんや

一九四四年、新潟県生まれ。一九六七年、早稲田大学第一文学部英文学専修卒業。一九七三年、大谷大学大学院博士課程真宗学専攻単位取得退学。現在、真宗大谷派教学研究所所長、新潟県・光済寺住職、大谷大学名誉教授。【著書】『唯信鈔講義』(大法輪閣)、『シリーズ親鸞9・現代日本と親鸞』(筑摩書房)、『帰依三宝・仏教徒の大切なよりどころ』(東本願寺出版部)、『清沢満之集』(岩波文庫)ほか
安冨 信哉氏には3月13日の「信道講座」にご出講いただきます。

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